世界で一番殺された実験動物の話
こんにちは@hitokutokumeiです。現代医療の根幹に静かに横たわる重いテーマ「動物実験」について私の恩師の言葉を思い出しながら書いていきます。
分子生物学と動物実験
私は大学時代にある教授の研究を手伝っていました。教授は分子生物学が専門で生命の遺伝について研究している所謂ザ・研究者です。
柔道整復師を目指す学科に在籍していた私が畑違いのゴリゴリのサイエンスに幸運にもかかわることができたのはちょっとした縁があったおかげなのですが、今回は関係ないのでその話は割愛します。
分子生物学の研究には動物実験が必要不可欠です。生き物から採取した臓器の細胞、血液、尿その他もろもろから遺伝子の抽出・比較、分子量の計測、発育の異常等を調べます。
教授はマウス(ハツカネズミ)を使った遺伝の研究をメインにしており、何匹ものマウスを飼育していました。もちろん、飼育しているということは、それらのマウスを将来的に殺す必要があるということです。
マウスの場合、ヒトの腎生検のように生かしながら臓器の細胞を取り出すようなことはしません。ましてや血液など実験に必要な量を抜き取れば死にます(数ミリリットルの単位です)。
一番殺した生き物
私はそんな未知の領域だった化学の世界に案外すんなりと順応していきました。ある時教授にこんな質問をしました。
「今まで何匹のマウスを殺したんですか?」純粋な興味からでした。
「何千匹かもな」教授はさらっと答えました。
「じゃあマウスに呪われますね」私はよくこんな軽口をたたくタイプでした。
「いや、呪われるとしたらマウスじゃないな、もっと殺した生き物がいる。なんだと思う?」
「え、わかんないっす」浅はかにも素で答えてしまいました。
「大腸菌だ。数え切れないほど殺したから、俺はきっと大腸菌に呪い殺される」教授はニヤッと笑いました。
人類に貢献する寒天培地の大腸菌
大腸菌といえば食中毒。ばい菌、雑菌、汚いもの。当時の私は大腸菌とはそういうイメージでした。しかし悪役扱いされる大腸菌はその実、人類に多大な貢献をしています。
実験室のシャーレ、その寒天培地に大腸菌は数千とか何万匹でコロニーを作ります。大腸菌は様々な研究で使用されるモデル生物の代表。モデル生物とは分子生物学において実験動物のことを指します。
大腸菌にヒト型インスリンを作らせる遺伝子を導入して、インスリンを生産することに利用されている。他にも、顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)や組織プラスミノーゲン活性化因子(t-PA)などの生産も、同様の方法で行われている。
大腸菌は様々な遺伝子組み換えの技術により薬剤の生成の材料にされたり、特定の遺伝子のみを増やす手段に広く利用されるのです。
教授の研究も例外ではなく、大腸菌の恩恵にあずかっていました。
菌は一つの生命だ
教授からは「オイオイ忘れてないか?菌だって生き物だぞ」と心の声が聞こえるようでした。軽い気持ちで聞いた質問が存外深い話になっていました。
生命は平等で優劣はない。ならマウスも大腸菌もヒトも等しく生命だ。理屈ではわかるけど納得できない揺さぶられる感覚。ああ、これが本質なんだと直感しました。
自分の中に「生命」の定義に対して偏見をもっていたことに気が付きました。菌は生命の中でも「無視してもいい矮小なものだ」と勝手に決めつけていたのです。
世の中の動物実験に対するバッシングの根源にあるのはこれだ!
「生命」に偏見を持ってるからだ!
盲点とはまさにこのことか!
人間のように思えるなら生命か?
マウスは餌を食べたり、寝たり、キューキュー可愛いく鳴いたりします。
人間もご飯を食べたり、寝たり、言葉を話します。
では大腸菌はどうでしょうか。食事の様子は想像できませんし、寝ないでしょうし、発声器官はありません。
私たちは他の生物に対して無意識に自分との共通点を見つけることで愛着が湧き、生命だと感じるのです。共通点が見られないものは無意識に生命だと考えられないのです。
多くの人の頭の中では菌なんて石ころとか無機物の方に近いカテゴリーに位置しているでしょう。大腸菌にはヒトと同じく遺伝子があるにもかかわらず。
生命の定義
動物愛護を掲げる方々は実験動物のマウスやラットやイヌのために活動していますが、大腸菌や酵母やアオカビを守れ、解放しろとは叫ばないでしょう。だって菌だし、そこらじゅうで繁殖してるし。ネズミもそこらじゅうで繁殖してますがね。
彼らにとって大腸菌たちは「守るべき生命」にはカテゴライズされていないのです。
私もそうだったように結局のところみんな自分の物差しで生命を好き勝手に定義しているんです。だから意見が対立するのは当然の摂理です。両者とも自分の物差ししか持ってないから相容れない。
おわりに
私が学生時代の研究で得た大切なことは殺生に正面から向き合うことでした。
実験の過程で命の尊さを深く学び、貴重な発見がありました。
人は食事的な意味でも環境破壊的な意味でも他の生命を脅かさなければ生きていけません。もちろん医療もモデル生物たちの命が糧となっているから今があるです。
全ての生き物に畏敬の念を抱くことこそが本当の動物愛護だと思います。
“動物”愛護と呼ぶから偏見が助長されるのかもしれませんね。生命愛護や生物愛護と言えばいいのに。